Atsutaka Manabe

はまるという感覚


Nov 21, 2014

もう十日前の話になってしまった。

テニス、ここのところ絶好調である。サーブ、ボレー、ストロークどれもいいのだが、特にフォアハンドのストローク。テークバックの際に、体の後方で目の届かないラケットヘッドの位置、それが頭の中でイメージできて、ボールをヒットしたときから着地点までヘッドの軌跡が描けるとき、ボールは思い通りのところに飛んでくれる。こういうときは、思いっきりボールを引っぱたいてもアウトしない。ダブルスの敵方ペアに加え、自分の相方までが、唖然とした顔でボールを見送るのはきわめて気持ちいいものである。

この晩は何でも思いのままだったので、ちょっと調子に乗りすぎ、無理な姿勢から横っ飛びに玉に飛びつく回転レシーブ状態から転倒。膝からの相当の出血に加え、手首を軽く打撲してしまった。コンサート本番の十日前に、こんな真剣にテニスの試合をやるべきでなかったと後悔。一日用心して、次の日にそろっとピアノ練習を再開したが、何とか大丈夫のようで一安心。

私は譜読みが遅いのだが、それが終わってからは、シンプルなパッセージから難所まで、手が自然にはまるという感覚を探す。これは譜読み以上に時間がかかる作業である。動かせる場所も体幹から指先まで、そして運動のモードも並進、回転とあり、いかんせん自由度が多すぎる。この中で、少なくとも局所的な最適解を見つける作業が続く。

しかしながら、テンポ、強弱を初めとして表現したい曲想が具体化してくるにつれて、手のポジションと動きの感覚がだんだんと煮詰まっていくのは実感できる。そのことが練習のご褒美そのものである。具体的には、音を出す指が打鍵前に最適の位置に準備されているのはもちろん、直接弾かない指たちが、ポジションの確保だったり、代え指の準備でごくそばに待機していたり、跳躍のための基準指になっていたり。そういうものが安定してくる。そうすると、テニスのときのように、弾くときの怖さがなくなってくる。これが私にとっての “はまる“ という感覚である。

こういう解は、大脳で考え付くこともあるが、たまに無意識的にできてしまうこともある。普段譜面を見ている目を手に落とし、その動きをゆっくりと見てみると、器用にも指の置き換えが行われていて次の音の打鍵準備が自然と整っている。まるで人ごとのように感心してしまう。

明後日はデュオコンサートの本番。今日も相当体に覚えこませる訓練をしたつもりではあるが、自分の理想とする “はまり“ 状態には部分的しか到達していない。でも本番では、できないことを不安がるよりも、迷いを吹っ切ることで、はまった感覚にできるだけ長い間とどまっていられるだけで御の字なのかもしれない。

あと一日。くいのないように頑張る。